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原始・古代

日本の扉の開閉に使われる蝶番の歴史とは

日本の扉の開閉に使われる蝶番の歴史とは 原始・古代
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日本の家の歴史には、扉や窓を開閉するために使われる蝶番(ちょうつがい)の歴史も含まれています。
蝶番とは、枢軸(すうじく)となる部分に取り付けられる金具で、扉や窓が回転することで開閉できるようになります。
蝶番は、古くから人類が生活する上で欠かせないものであり、時代とともに発展してきました。
では、日本ではどのように蝶番が使われてきたのでしょうか。

蝶番の起源と世界の歴史

蝶番の起源は定かではありませんが、一説によると紀元前5000年頃に作られたドアが最古であり、その当時は木や石で扉の開閉を蝶番の代わりにしていました。
紀元前5500年あたりから金属の蝶番が使われるようになったとされています。
世界では、古代エジプトやローマなどで蝶番が発達し、中世ヨーロッパでは鍛冶技術や鋳造技術が向上し、さまざまな形やデザインの蝶番が作られました。

日本での金属製蝶番の登場

日本での金属製での最古の蝶番は、7世紀初期に建てられたと推測される正倉院の赤漆文欟木厨子(せきしつぶんかんぼくのずし)に取り付けられている両開き扉の蝶番と言われています。
これは中国から伝来したもので、銅製で作られています。
日本では、奈良時代から平安時代にかけて、紙や革製、木製の蝶番も使われていました。
これらは屏風や鎧などで使われており、特に革製品で作られた蝶番は鎧の駆動域を広げる効果をもたらしました。

日本での金属製蝶番の普及

鎌倉時代から江戸時代にかけて、金物の精度と建築物の技術が向上し、金属製の蝶番が徐々に普及していきました。
これは、鎌倉幕府や江戸幕府の成立に伴って武家屋敷や城郭建築が増えたことや、鍛冶技術や鋳造技術が発達したことなどが影響しています。
金属製の蝶番は、防犯性に優れている強固な扉や窓に取り付けられました。
また、美術品としても高く評価されるようになり、海老錠(えびじょう)や和錠(わじょう)など独特な形や装飾を施したものも作られました。

日本での西洋式ドア・窓・蝶番の導入

明治時代以降は、西洋式のドアや窓が導入されるようになり、金属製の枠にガラスや金属板をはめ込んだもので、蝶番やノブによって開閉できるようになりました。
これらは、西洋の建築様式や文化を取り入れた近代建築や洋風建築に使われました。
また、日本独自の中廊下式住宅や町家などでは、和風と洋風の融合を図るために、引き戸や障子と開き戸や窓を併用することもありました。

日本の扉と蝶番の現在と未来

現在の日本では、和風と洋風の扉や窓が混在しており、それぞれに合った蝶番が使われています。
また、新しい技術や素材を取り入れた蝶番も開発されています。
例えば、自動で開閉する電動蝶番や、音や振動を抑える防音・防振蝶番などです。
これらは、快適で安全な住まいづくりに貢献しています。
今後も、日本の扉と蝶番は、時代のニーズに応えて進化していくでしょう。

まとめ

この記事では、日本の家の歴史における蝶番の役割と変遷について紹介しました。
蝶番は、扉や窓を開閉するために必要な金具で、古代から現代までさまざまな素材や形状で作られてきました。
日本では、引き戸や障子などの和風の扉や窓と、開き戸やガラス窓などの洋風の扉や窓が混在しており、それぞれに合った蝶番が使われています。
蝶番は、日本の文化や建築における細部の美しさや機能性を表現しています。