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原始・古代

紫式部を中心に探る!平安時代の中流貴族の住まいと庭園

紫式部を中心に探る!平安時代の中流貴族の住まいと庭園 原始・古代
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こんにちは、伊藤です。
今回は、平安時代の中流貴族の住まいや庭園の歴史についてお話しします。

平安時代中期に活躍した女流作家、紫式部をご存知でしょうか。
彼女は「源氏物語」で名高い人物ですが、その住まい、そして庭園はどのようなものだったのでしょうか。

この記事では、紫式部のかつての邸宅跡や作品から、当時の住環境と庭園文化を探り、そして彼女ゆかりの地についてもご紹介します。

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平安時代の中流貴族の住まい:紫式部ゆかりの地から探る

平安時代の上流階級の住まいは、「寝殿造」と呼ばれる形式が一般的でした。
一方、中流貴族の住まいについては、その全貌は謎に包まれています。

建物自体は現存していないものの、紫式部が過ごしたとされる地が京都市上京区に残っており、その邸宅跡や紫式部の作品に登場する住まいの描写から、中流貴族の暮らしの一端を垣間見ることができます。

その地とは、「廬山寺(ろざんじ)」と呼ばれる寺院です。
廬山寺は、紫式部の父である藤原為時の邸宅跡である堤第(つつみてい)が建っていた場所にあります。

堤第は広い邸宅だったようですが、その具体的な構造については、詳細は不明です。
しかし、紫式部の作品に登場する邸宅は、自身の経験に基づいて描写されたと考えられています。
物語の中で描かれる華麗な貴族の住まいは、紫式部が実際に育った中流貴族の邸宅をモデルにしたものなのかもしれません。

もし物語に登場する邸宅が、紫式部の自宅を模したものだとすれば、中流貴族の住まいは、寝殿造ほど豪華絢爛ではないものの、風情ある庭園や趣向を凝らした建物配置など、独自の美意識に基づいた空間だったことが想像できます。

平安時代の庭園

貴族文化が華やかに咲き誇った平安時代、邸宅と一体となった「寝殿造庭園」が主流でした。
時代が中期に差し掛かると、浄土信仰の高まりとともに、庭園様式は「寝殿造庭園」から「浄土式庭園」へと変化していきます。
浄土式庭園は、極楽浄土を表現するもので、西側に阿弥陀堂を配置した浄土と、東側から眺める現世を象徴する庭で構成されます。
平安時代を代表する様式であり、現在では平等院鳳凰堂で平安時代に造られた最古の浄土式庭園を見ることができます。

紫式部の邸宅跡である廬山寺の境内にも、平安時代の庭園を再現した「源氏庭」があります。
白い砂と苔のコントラストが美しいこの庭園には、紫色の桔梗が植えられています。
諸説あるようですが、源氏物語に登場する朝顔は現在の桔梗のこととされ、紫式部にちなんで植えられているそうです。
もしかすると、源氏物語やその他の作品に登場する花や庭園なども、紫式部の見てきた庭園をモデルにしているのかも知れませんね。
源氏庭の桔梗の見頃は6月末から9月初め頃で、紫式部も眺めていたであろう風景を想像しながら訪れるのも一興でしょう。

紫式部ゆかりの地

前述した廬山寺は、紫式部が生涯の大半を過ごしたゆかりの地として知られていますが、彼女ゆかりの地は京都だけではありません。
福井県越前市には、紫式部が生涯一度だけ都を離れて暮らしたとされる場所が存在します。
紫式部は父である藤原為時と共に、この地で約一年間を過ごしたとされています。

現在、その地には寝殿造庭園を備えた「紫式部公園」が整備されています。
公園内には十二単を身に纏った金色の紫式部像が立ち、隣接する「紫ゆかりの館」では、紫式部に関する資料を閲覧することができます。

大河ドラマ「光る君へ」で紫式部が注目されている今、興味のある方はぜひこれらのゆかりの地を巡り、聖地巡礼を楽しんでみてはいかがでしょうか。

まとめ

平安時代中流貴族の住まいは、寝殿造ほど豪華ではないものの、風情ある庭園や趣向を凝らした建物配置など、独自の美意識に基づいた空間だったと考えられます。

紫式部の生涯を辿り、京都の廬山寺や福井県の紫式部公園などゆかりの地を巡ることで、平安時代の住環境や庭園文化をより深く理解することができます。

これらの場所は、紫式部の作品に登場する風景を想像しながら、当時の貴族文化を体感できる貴重な場所と言えるでしょう。

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