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近代・現代

日本のステンドグラスの歴史とその魅力に彩られた建物

日本のステンドグラスの歴史とその魅力に彩られた建物 近代・現代
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日本におけるステンドグラスの歴史は、西洋文化の波が押し寄せた明治時代にさかのぼります。
その煌びやかな光は、日本の建築に新たな息吹をもたらしました。
ステンドグラスは、教会の壁画に描かれた聖人に神の光が宿るものとして、精神的な意味合いを持ち美術品としても高く評価されてきました。

日本のステンドグラスの歴史

そもそも日本とガラスの歴史はとても古く、弥生時代の勾玉やくだ玉が日本最古のガラスと言われています。
その後、大陸から仏教が伝わり仏具や七宝にガラスが使われ、日本国内にガラスが広がりました。

時が経ち、室町時代末期にはガラス作りは途絶えましたが、フランシスコザビエルなどの宣教師が来航したことにより西洋ガラスの製造法が伝わります。
この時に、風鈴や切子といった日本独自のガラス細工が生まれました。

そんなガラスの歴史を経て、ステンドグラスは江戸時代後期~明治時代に伝来しました。
最初に日本に登場するステンドグラスは、長崎の大浦天主堂にフランスから寄贈された「十字架のキリスト」と伝えられています。
そんな背景があり、当時19歳だった宇野澤辰雄は明治政府の命を受け3年間ドイツへ留学をします。
そこで、ステンドグラス技法とエッチングを学び日本のステンドグラスの礎を作りました。

日本で初めて作成されたステンドグラスは、東京府庁舎の天井の明り取りとして取り付けられました。
しかし、日清日露戦争による需要減によってステンドグラスは衰退します。
その後、養父である宇野澤辰美がステンドグラス工房を開き、今日の老舗ステンドグラス工房の源流となりました。

宇野澤以外にも、日本のステンドグラスの礎を担う人物がいます。
小川三知です。
彼はアメリカ方式(ティファニー方式)のステンドグラス技法を日本に広め、代々木に作った工房では日本メソジスト教会銀座教会をはじめ慶応大学図書館鳩山会館など名だたる建築物にステンドグラスを提供しています。

ステンドグラスが見れる日本の建物

ステンドグラスが有名な建物としては、長崎の「大浦天主堂」があります。
前述したように、これは日本における殉教者となった26人のキリシタンのために建立されたカトリック教会で、国内最古の教会建築として知られています。
大祭壇に飾られているステンドグラスは、神聖な世界に浸ることができる美しさを持っています。

国会議事堂」の中央広間でも、美しいステンドグラスを見ることができます。
ステンドグラスからか入る光の中、議会政治の功労者である伊藤博文や板垣退助、大隈重信の銅像が佇む厳かな空間です。
同じ東京ある「東京ジャーミイ トルコ文化センター」は、昭和5年に建てられたオスマン様式のイスラームの礼拝ができる建物です。
まるで異国にいるかのような、幻想的なステンドグラスと建物を見ることができます。

その他、大正11年に建設された愛媛県松山市にある国の文化遺産「萬翠荘」では、フランス風洋館に飾られたステンドグラスや、伊豆高原にある「川奈ステンドグラス美術館」、「箱根彫刻の森美術館」など各所で幻想的なステンドグラスを楽しむことができます。

まとめ

日本のステンドグラスは、西洋からの影響を受けつつも、独自の発展を遂げてきました。
明治時代の文明開化の流れの中で、日本独自の建築美として根付き多くの歴史的建造物にその美しさを留めています。
ステンドグラスは、ただの装飾品ではなく、日本の建築史において重要な役割を果たしてきたのです。
今後もその輝きは、多くの人々に感動を与え続けるでしょう。

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