大和時代とは、日本の歴史で、古墳時代から奈良時代の初期までを指す時期です。
この時期には、日本列島に多くの古墳が築かれ、大王(おおきみ)と呼ばれる権力者が支配していました。
大和時代の家は、この古墳文化や大王制と密接に関係しています。
本記事では、大和時代の家について、その特徴や生活、変遷などを紹介します。
大和時代の家の特徴
大和時代の家は、主に掘立柱建物と呼ばれる形式で建てられていました。
掘立柱建物とは、柱を地面に深く掘り込んで立てる建物のことです。
この方法は、地盤が弱い場所でも安定した建物を作ることができます。
掘立柱建物は、平面が方形や長方形で、屋根は切妻造りや寄棟造りでした。
屋根の素材は、茅(かや)や草などの植物を束ねて葺いたものでした。
壁は、竹や木を編んで作ったものに泥を塗ったものや、板を張ったものなどがありました。
床は、土間や畳などがありました。
大和時代の家は、一つの建物に一つの部屋しかありませんでした。
そのため、一つの家族が住む場合は、複数の建物を並べて住んでいました。
また、大王や貴族などの上層階級は、広い敷地に多くの建物を配置して住んでいました。
これらの建物群を宮(みや)や宅(たく)と呼びました。宮や宅では、各建物に役割がありました。
例えば、正殿(せいでん)と呼ばれる建物は、大王や貴族が政務や儀式を行う場所でした。
寝殿(しんでん)と呼ばれる建物は、大王や貴族が寝室として使う場所でした。
倉(くら)と呼ばれる建物は、食料や財宝などを保管する場所でした。
大和時代の家の生活
大和時代の家では、どのような生活が行われていたでしょうか。
まず、食事についてですが、米や麦などの穀物を主食としていました。
また、肉や魚などの動物性食品や野菜や果物などの植物性食品も食べていました。
調理法は、煮る・焼く・蒸す・炒める・漬けるなどがありました。
食器は、土器や木器・竹器・漆器などが使われていました。
次に、衣服についてですが、絹や麻などの繊維を織って作った布を着ていました。
布は主に白色でしたが、染めることもありました。
着方は、上半身に上衣(じょうえ)と呼ばれる袖付きの服を着て、下半身に裳(も)と呼ばれるスカート状の服を巻いて着ていました。
上衣と裳は、帯で結んで固定していました。
また、冬や外出時には、外套(げとう)と呼ばれるマント状の服を羽織っていました。
衣服は、身分や性別によって異なっていました。
例えば、大王や貴族は、色や柄の豪華な衣服を着ていました。
男性は、裳の長さが短く、上衣の袖が広くなっていました。
女性は、裳の長さが長く、上衣の袖が細くなっていました。
最後に、娯楽についてですが、音楽や舞踊・歌・詩などの芸能を楽しんでいました。
また、祭りや競技・遊戯などの行事に参加していました。
音楽では、笛や鼓・鈴・琴などの楽器を演奏していました。
舞踊では、神や仏・自然・人間などの様々なテーマに合わせて踊っていました。
歌や詩では、恋や別れ・季節・風景などの感情や情景を表現していました。
祭りでは、収穫や年始・節分・彼岸などの時期に神や仏に感謝や祈りを捧げていました。
競技や遊戯では、相撲や弓矢・馬術・囲碁・将棋などの技能や知力を競っていました。
大和時代の家の変遷
大和時代から平安時代にかけて、家の形や機能はどのように変化したでしょうか。
まず、形についてですが、掘立柱建物から高床式建物と呼ばれる形式へと移行していきました。
高床式建物とは、柱を地面から離して立てる建物のことです。
この方法は、湿気や虫から建物を守ることができます。
高床式建物は、平面が方形や長方形で、屋根は切妻造りや寄棟造りでした。
屋根の素材は、茅や草などの植物を束ねて葺いたものでした。
壁は、竹や木を編んで作ったものに泥を塗ったものや、板を張ったものなどがありました。
床は、畳や板などがありました。
次に、機能についてですが、一つの建物に一つ以上の部屋が作られるようになりました。
そのため、一つの家族が住む場合は、一つの建物で済むようになりました。
また、大王や貴族などの上層階級は、広い敷地に多くの建物を配置して住んでいました。
これらの建物群を宮(きゅう)や邸(てい)と呼びました。宮や邸では、各建物に役割がありました。
例えば、正殿(せいでん)と呼ばれる建物は、大王や貴族が政務や儀式を行う場所でした。
寝殿(しんでん)と呼ばれる建物は、大王や貴族が寝室として使う場所でした。
庭(にわ)と呼ばれる空間は、花や木・池などの自然を配置して美しく造られた場所でした。
まとめ
本記事では、大和時代の家について紹介しました。
大和時代の家は、掘立柱建物と呼ばれる形式で、一つの建物に一つの部屋しかありませんでした。
そのため、一つの家族が住む場合は、複数の建物を並べて住んでいました。
また、大王や貴族などの上層階級は、宮や宅と呼ばれる建物群に住んでいました。
大和時代の家では、米や麦などの穀物を主食とし、絹や麻などの繊維を織って作った布を着ていました。
音楽や舞踊・歌・詩などの芸能や祭りや競技・遊戯などの行事を楽しんでいました。
大和時代から平安時代にかけて、家の形や機能は変化しました。
高床式建物と呼ばれる形式に移行し、一つの建物に一つ以上の部屋が作られるようになりました。
また、宮や邸と呼ばれる建物群に住むようになりました。
以上が、大和時代の家についての記事でした。
大和時代の家は、日本古代の文化や歴史を知る上で重要な要素です。
ぜひ、この記事を参考にして、大和時代の家についてもっと学んでみてください。
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